アラ・パキス



アラ・パキス, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2004978 / CC BY SA 3.0

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復元された「アラ・パキス・アウグスタエ(アウグストゥスの平和の祭壇)」 アラ・パキス北面:元老院議員たちの浮き彫り装飾 アラ・パキス南面:アウグストゥスをローマの大祭司として描き、家族と共に描いている浮き彫り装飾 アラ・パキスのテルス(大地の女神)のパネル アラ・パキス・アウグスタエ(Ara Pacis Augustae)はパークス(平和の女神)の祭壇で、ラテン語で「アウグストゥスの平和の祭壇」の意。
通称はアラ・パキス (Ara Pacis)。
紀元前13年7月4日、元老院がヒスパニアとガリアで大勝利を収め帰還するローマ皇帝アウグストゥスの栄誉を称えて製作を依頼し、紀元前9年1月30日、アウグストゥスの勝利によってローマ帝国に平和がもたらされたことを祝って元老院が奉献した。
祭壇はローマ市民の宗教観を視覚化したものとされている。
また、ローマ帝国の軍事的優位による「パクス・ロマーナ(またはパクス・アウグスタ)」がもたらした平和と繁栄の象徴とされ、それを実際にもたらしたユリウス=クラウディウス朝の記念碑とされた。
アラ・パキスは白い大理石で精緻に彫刻された壁に囲まれており、その壁には伝統的なローマの敬虔さを表した場面が描かれており、皇帝とその家族が神々に生贄を捧げている場面が描かれている。
生贄として捧げられる家畜も彫刻の中に描かれている。
中にはトガをフードのように頭から被った者も描かれている。
これは、彼らが聖職者として公式な資格で行動していることを表している。
また、月桂冠を被った人物も描かれており、勝利を象徴している。
男女や子供たちが全て神々の方向に進もうとしている。
市民の平和というテーマはユリウス=クラウディウス朝や文明の力としての宗教の重要性と結びつき、アウグストゥス自身の言によれば、この機会に宗教儀礼を意識的に再生させようとしたという。
この祭壇はアウグストゥス時代の彫刻で現存するものの中でも最も有名で、一般に傑作とされている。
その中に描かれている人々はギリシア彫刻によく見られるような理想化したものではなく、実際に当時の有名人に似せて彫刻したものと見られ、今日でも一部の個人名が判っている。
G. Karl Galinsky は、アラ・パキスの彫刻は装飾である前に記号的意味を持ち、図像学的にいくつかの重要な点があると指摘した。
アラ・パキスと同様の公開されているローマの記念碑の研究によれば、そのような装飾には伝統的に政治的な意図が象徴的に含まれており、王朝や帝国の方針を強調しているとされている。
アラ・パキスは、ジョルジュ・デュメジルが提唱した「三機能仮説」の「主権」・「軍事力」・「生産力」を具現化しているとされている。
Peter Holliday は、単なる詩的な引喩として扱われていた黄金時代の祭壇を具現化したことが、ローマの一般大衆の多くに強い印象を与えただろうと指摘している。
アラ・パキスは、当時の大衆が恐れていた「歴史は繰り返す」という考え方への対策であり、アウグストゥスの治世によって、当時の歴史観で予言されていた世界の破滅的大変動が回避されることを約束したものだった。
アラ・パキスの表面にある長い浮き彫り(現在の配置から北壁と南壁と呼ばれている)には、西に向かって進む人々が描かれており、アウグストゥスが生み出した平和を祝って感謝を捧げようとしている姿が描かれている。
これら人物像は、リクトル(ファスケスを持った有力者の護衛)、聖職者(4つの主要な collegia のうちの3つ — Pontifices, Septemviri, Quindecemviri)、女性と子供(主に皇帝の家族)、随行人(宗教的目的に欠かせない無名の人物)の4種類に分類されている。
さらに数人のローマ人でない子供が描かれており、賓客(または人質)と思われる。
服装がローマ風でないことから明らかであり、このような人々が式典に参加するということは、他の国家がローマに若者を留学させてローマの方法を学ばせているということを宣伝する目的があり、ローマの名誉を高める効果がある。
ここに描かれた式典は紀元前13年の夏に行われたが、元老院がアラ・パキスの建設を決議した7月4日とは限らない。
東と西の壁には2つのパネルがあり、それぞれ1つは保存状態がよいが、もう一方は一部しか現存していない。
東壁の保存状態の悪いパネルには女性闘士 (bellatrix) が描…

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